測定していない薬の細胞応答をAIはどう予測するのか
MAPの未測定薬剤予測を、残した知識と未知にした情報から読む。公開された16薬剤の評価値を再集計し、平均相関の改善、候補ごとのばらつき、知識学習の段階差と次の検証条件を整理する。
Summary in English
How can AI predict cellular responses to drugs that have not been profiled?
A descriptive audit of published MAP scores for 16 held-out drugs and four knowledge-pretraining stages, distinguishing unprofiled compounds from unseen structural or mechanistic groups. No model training or inference was performed.
On this page
新しい化合物を細胞に加えると、どの遺伝子の発現が変わるか。まだRNAを測っていない化合物にも予測を出せれば、次の実験候補を絞る手掛かりになる。ただし、薬の名前が学習データにないことと、構造や作用まで未知であることは同じではない。
2026年8月のMAPは、薬剤・遺伝子の知識を表現へ取り込み、薬剤投与後の転写応答を予測する研究である。原論文
私はこの研究を、「未知にした情報」と「残した情報」を分けて読みたい。この記事では、公開Source Dataの16薬剤・6手法・5回の評価を再集計する。モデルの学習・推論は行っていない。著者の評価値を読み直した結果と、私が次の検証に求める条件を区別する。資料確認日:2026年10月12日。
未測定薬剤にも構造は入力できる
薬剤を番号だけで表すモデルでは、初めて出てきた番号の意味が分からない。分子構造を入力できれば、学習中の薬剤との共通点を利用する入口ができる。MAPの知識学習は、分子構造、タンパク質配列、説明テキストを結び付け、その表現を細胞応答の予測へ使う。
ここで、事前学習に使う情報と、予測時に与える情報を混同しない。私が確認した公式デモは、対照細胞の入力、化合物のSMILESという構造表記、濃度を予測器へ渡す。デモを実行したわけではないが、薬剤名を既知の番号として検索するだけの入口とは違うことをコードから確認できる。
未知の化合物へ応答を移せる理由として、私は二つを分けて考える。一つは、構造の近い既知化合物の応答へ近づけること。もう一つは、構造だけでは表しにくい作用の関係を、事前学習で表現へ組み込むことだ。両方が働く可能性があるから、知識を加えたモデルが良いという結果だけで、未知の機序を発見したとは結論しない。
薬剤を除く評価と構造系列を除く評価
MAPの原論文には、薬剤と細胞の組み合わせを未知にする設定と、テスト薬剤の転写応答をすべて学習から除く設定がある。後者では知識学習からも、テスト薬剤、別名、関係する辺を除くと記載されている。以下の集計は後者を扱う。原論文の評価設定
| 評価で未知にするもの | まだ利用できる情報 | 私がその評価で確かめたいこと |
|---|---|---|
| 薬剤と細胞の組み合わせ | 他の細胞で測った同じ薬剤の応答 | 細胞背景を変えたときの移植可能性 |
| 薬剤そのものの転写応答 | 化合物の構造、学習済み表現、他の薬剤の応答 | 未測定薬剤への予測能力 |
| 構造系列 | 遠い構造や既知の標的・経路の情報 | 近い類縁体への依存を減らした予測能力 |
| 作用機序の群 | 構造や、別の作用を持つ薬剤の情報 | 既知機序の範囲を越えた予測能力 |
下の二行は、本記事が追加で問う検証である。MAPの薬剤除外評価が、そのまま構造系列や作用機序の除外を意味するわけではない。薬剤のIDが違っても、よく似た化合物が学習側にあれば、近い例からの予測が可能だからだ。
それを不正な情報漏洩と一律に呼ぶ必要もない。類縁体を改善する仕事なら、近い化合物の知識は正当に使える。類縁体での成績を新しい構造や新しい機序へ広げるなら、その適用範囲で別に確かめる必要がある。
私は公式コードの知識データ読み込み部分も読んだが、この記事では分割済み知識グラフと使用チェックポイントの組を再現していない。「除外すると論文に書かれていること」と「その実行物で除外を検証したこと」は分けて残す。
16薬剤で平均が上回ることと毎回上回ること
比較に使ったのは、Source DataのFig_3cシートである。これはTahoe-100Mの6つのがん細胞株を用いた未測定薬剤の評価で、個々の細胞をまとめたpseudobulkの評価値を扱う。個々の細胞の運命や、すべての細胞型への予測を評価した集計ではない。各薬剤について、MAP、CRISP、ChemCPA、PRnet、trainMean、XPertの上位50差次的発現遺伝子に対するPearson delta correlationが載っている。差次的発現とは、薬剤投与と対照の間で発現が変わることである。Pearson delta correlationは、対照からの遺伝子別発現変化について、予測と実測のパターンがどれほど一致するかを測る相関だ。ここでのdeltaは発現の変化を指し、以下で計算する手法間の相関差とは区別する。
全16薬剤を読み、各薬剤で掲載平均が最も高い比較法を一つ選んだ。その比較法を固定し、5回それぞれでMAPとの差を取った。比較法は評価結果を見て選んでいるので、これは未知候補に適用できるモデル選択法ではなく、掲載結果の記述的な比較である。
\[ d_{j,e}=r_{\mathrm{MAP},j,e}-r_{\mathrm{comparison},j,e}. \]
ここで\(j\)は薬剤、\(e\)は評価回を表す。図の点は、公開された5つの丸め値から計算した\(d\)の平均である。

図1。 全16薬剤を表示した本記事の再集計。線は5回の差の最小値から最大値までで、信頼区間ではない。比較法は薬剤ごとに異なるが、同じ薬剤の5回では固定している。薬剤別の比較法は配布物のresults/drug-comparisons.csvに記録した。
掲載平均では16薬剤すべてでMAPが比較法を上回った。5回の丸め値から平均を再計算しても、この結論は変わらなかった。一方、5回すべてで差が正だったのは12薬剤である。
| 薬剤 | 比較法 | 5回からの平均相関差 | 差の最小〜最大 | 差が正の評価回 |
|---|---|---|---|---|
| Bergenin | XPert | 0.0084 | −0.058〜0.072 | 3/5 |
| Balsalazide | CRISP | 0.0176 | −0.012〜0.050 | 3/5 |
| Nafamostat | XPert | 0.0516 | −0.072〜0.134 | 4/5 |
| Ralimetinib dimesylate | XPert | 0.0620 | −0.032〜0.120 | 4/5 |
これは、平均の優位を否定する結果ではない。候補ごとに改善の幅が違い、小さい差は評価回によって符号も変わる、という結果である。私は、一つの全体平均から全化合物に同じ改善を期待することを避けたい。
5回は、同じ固定テスト集合に対する評価である。差は表にある同じ評価番号で照合したが、各回で何をランダム化したか、手法間で同じ乱数や抽出細胞を使ったかは、このスコア表だけでは検証できない。5人の患者や5つの独立した実験系を追加したわけではない。この範囲から、未知薬剤全体に対する成功率や、生物学的な不確実性を推定しない。また、ここでの差は相関係数の差であり、薬効が何%改善したという数字ではない。
平均値の照合で残った一件
96個の掲載平均(16薬剤×6手法)を、対応する5回の値の平均と照合した。DrospirenoneのMAPには、掲載値0.941に対し、5回からの再計算値0.9346という差があった。差は0.0064で、両方の値を小数第3位で丸めたことだけでは説明しにくい。
元の掲載値を誤りと断定して置き換えることはしない。別の集計手順が使われたのか、表記の問題なのかは、公開されたスコアだけでは確定できない。配布CSVには両方を残した。この薬剤でも比較法との差は、掲載平均で0.059、5回からの再計算で0.0528と、いずれも正である。
候補を選ぶ際に微小なスコア差を使うなら、まず入力・集計の整合性を確かめたい。今回の差は全16薬剤の平均優位という判断を変えなかったが、数値の桁を増やすだけで比較の確かさが増すわけではない。
知識を増やした段階差を作用機序の寄与と呼ばない
もう一つ、Fig_5aの未測定薬剤に対する相関を読んだ。PrimeKGは既存の生物医学知識グラフ、MAP-KGは本研究で薬剤・遺伝子とその関係を統合した知識グラフである。掲載平均は、ランダム初期化の条件0.321、MoleculeSTMを加えた条件0.734、PrimeKGまで0.747、MAP-KGまで0.822である。

図2。 公開表の4条件を本記事で図にした。段階ごとの相関差は0.413、0.013、0.075。単位は相関係数であり、知識の因果的な寄与率ではない。
大きい最初の差には、分子とテキストの事前学習を導入する変化が含まれる。その後の差にも、学習内容や量の変化が含まれる。したがって、0.413を分子構造だけの効果、0.075を標的機序だけの効果、と足し分けることはできない。
私は、この図を「情報と事前学習の条件を変えると、未測定薬剤への予測が変わった」証拠として読む。どの関係がどの薬剤を改善したかは、情報をそろえた対照や薬剤別の再評価で次に問いたい。知識を入れたモデルの予測が機序に沿っていることと、予測から機序を新たに識別したことも区別する。
相関では発現変化の大きさは決まらない
正解の変化をすべて2倍した予測でも、変化が一定でなければPearson相関は1になる。相関の優位だけでは、薬剤による変化量を正しく順位付けできたとは限らない。
また、実測応答から選ぶ上位50遺伝子は、変化した部分を回復する診断には使えるが、未測定薬剤を予測する時点には分からない。原論文の遺伝子選択方法
今回のSource Dataはスコア表であり、共通遺伝子集合での誤差や薬剤間識別を再計算したものではない。構造距離別の性能も確かめていない。16薬剤の平均での優位は確認できたが、どの距離の候補まで同じ成績が保たれるかは、この表だけでは決まらない。
再計算と資料
入力CSV・再計算コード・図・結果を配布する。python analysis.pyは標準ライブラリだけで動く。図の再作成にはmatplotlibを使う。入力は公開スコア600個で、元のシート・セル位置を残している。
今回行ったのはスコアの記述的な再集計と公式コードの静的な読解である。モデル実行、元の細胞データからの評価再現、独立テスト薬剤の追加、臨床効果の推定は行っていない。
資料はMAP原論文、補足資料、公式コードである。公開コードの確認版は629ebdc。配布物には元の論文・図・Source Dataブック・公式コード・モデル重みを含めていない。
引用
Kumakura, D. (2026). 測定していない薬の細胞応答をAIはどう予測するのか. daikikumakura.github.io. https://daikikumakura.github.io/writing/map-unprofiled-drugs.html